俺はただ働きたくないだけなんだ、焦る程の事じゃない。
それなのに何故労働を強いられるのか?
それは腹が減って空腹を満たすために食料が必要だが、その食料を得るために金がいるからだ。
そしてその金を得るには労働をしなくてはならない。
食料が欲しければ労働をしろと強要されている
人間は元々狩りを行い獲物を狩って食料を得ていた。
もしくは木々から果物や木の実を採取していた。
しかしいつの間にか食料を得るために労働をしなくてはいけない時代になった。
それは食料を採取するより食料や家畜を育てた方が安定した食べ物を得る事が出来たからだ。
また、暮らしを豊かにするために食料を得るだけでなく、色々な仕事を作り分担した方が都合が良かったからだろう。
その結果人々は現代の労働を強要されるようになった。
空腹を満たすだけなら食べ物は何でもいいはず
孤独のグルメの主人公である井之頭五郎は言う。
「焦るんじゃない、俺は腹が減っているだけなんだ」
しかしこの男、腹が減っているだけと言いつつ大抵いつも美食グルメを食べている。
つまり、この男にとって何かを食べるという行為はそこらのスーパーで買った激安食料で良いという訳ではないのだ。
彼にとって何か美味しい物を食べるという行為は、生きる上でそこそこ大きな割合を占める娯楽なのだろう。
しかしFIRE民はそれ以上に労働をしたくないため美食グルメを切り捨てた。
美食グルメを食べるという行為を捨てればその分支払うお金が減る事になり、その結果労働をその分しなくてよくなる。
食欲は怪物である
人間の三大欲求の一つである食欲は怪物である。
少しでも油断すればヤツは現れて気がついた時には美味い物を食うためにお金を払っている。
つまり美味い物を食べる事を我慢するという行為は、本能に逆らう行為ともいえるかもしれない。
本来味覚とは食べて良い物かダメなのかを判断するために存在する機能である。
美味しい物は安全、不味い物は危険。
しかし現代では大抵の物は安全である、むしろ美味しい物であればあるほど体に悪かったりする。
なのにも関わらず人間はさらに美味しい物を求めて散財して金を失っていく。
美食グルメで快楽を得るために金を使うかどうか
FIRE民にとって食欲とは一定を超えると敵になってしまう。
そもそも人間にとって必要な栄養素さえ取れていれば美食などいらないのである。
しかし食欲と上手く付き合っていかなければお金はいくらあっても足りない。
けれど人によってそれが自分の生き甲斐であるというのであれば、それはそれで正しいのかもしれない。
ここで比較されているのは、「美味しい物を食べるために余剰労働をする」or「働きたくないので余剰労働しない」である。
FIREを優先させるのであれば後者を選ぶべきだが、幸福を優先させるのであれば前者を選ぶという人もいるかもしれない。
もちろん人によっては後者こそ幸福であるという人もいるだろう。
高くて美味い物は無視しろ
FIREを優先させるのであれば、高くて美味い物を食べている場合じゃない。
安くて美味い物を食え。
高くて美味い物は無視しろ。
そうやって食欲に打ち勝ちFIREを加速させろ。
美味しい物を食いたいと思う前に野菜でも食って腹を満たせ
食欲は油断すると美味しい物を食べたいと本能に働きかける。
その前にスーパーで買った生野菜でも食って腹を満たせ。
そうすれば食欲は黙り始める。
食欲の奴隷になるな、キミがご主人様だ!!