命を無駄にする事への恐怖

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人生において恐ろしい事は、長生き出来ない事ではなく命を無駄にする事である。

この無駄とは怠惰で無為に過ごす事ではない。

やりたくもない仕事を必要以上に行って無駄な時間を使い必要以上のお金を稼ぐ事である。

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時間とは命を切り刻んだ欠片である

1時間とは命を1時間分に切り刻んだ欠片である。

つまり1時間後に人間は1時間分の命を失うのだ。

その貴重な時間でやりたくもない仕事を行い、必要以上のお金を稼ぐために使うのはバカげている。

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最低限生きるための労働は仕方ない

ある程度の労働は仕方ない、その労働を行わなければそもそも人間は生きられないからである。

しかし余剰な労働は完全なる命の無駄である。

生きるためにかかるコストを下げれば命の減少を最小限に出来る

生活するために掛かるお金の額を減らせば、労働により消費する命を最小限に抑える事が出来る。

つまり生きるためにお金を使わなければ無駄な労働をしなくて済む、その結果命の節約を行う事が出来るという事である。

投資するという事は効率的に命の消費を削減するという事

投資というのはある程度のメンテナンスは必要であるが、それを差し引いても効率的にお金を稼ぐ事が可能である。

もちろん全ての人が上手くいくわけでは無いし、効率よく負けて命の欠片を失ってしまう人もいる。

しかし、インデックスや高配当といった長期の投資方法を行えば比較的安全に資産を増やす事が出来る。

これは命の欠片を使い、労働で消費するはずだった多くの命の欠片の消費を削減出来るという事である。

人生をかけても良い仕事かFIREするか

自分の命の欠片を消費してもその仕事をやりたいという人であるならばその仕事をするべきである。

しかし大多数の人がそうではないはずだ。

ならば定年まで馬鹿正直に勤めて必要以上の命を失い、必要以上のお金を稼ぐ事は無意味である。

論理的に考えるのであれば、自分の命が果てるまでにいくらかかるのか逆算して必要な額を導き出し、その額が貯まったら労働を辞めてFIREするべきである。

正確にいくら必要なのか計算する事は難しい

現在の支出から物価上昇率を考慮して計算すればある程度の額は計算出来る。

しかし正確な計算をすることはほぼ不可能である。

けれどある程度の範囲で計算出来るはずなので、その範囲内である程度の余裕を持てばなんとかなるだろう。

もし足りなくなりそうだったとしてもその時働けば良い。

自分のやりたい事を仕事にしてしまえばいい

やりたくない労働で自分の人生に掛かるお金を全て稼ぐ必要はない。

自分のやりたい仕事でお金を稼げれば、早くFIREする事が可能である上に命を有意義に使う事が可能である。

といってもやりたい事で稼ぐというのは中々に難しい。

しかし仮に稼げなかったとしてもやりたい事であるのだから命が無駄になる事はない。

もしくは効率的にお金を稼ぐ事に徹する

仕事の対価というのは全て同じではない、当然効率的にお金を稼げる会社や業種という物もある。

なので全てを割り切ってお金を効率的に稼ぎ、普通の労働で消費するはずだった命の消費を削減するというのも悪くない。

けれど現実的には、もって産まれた頭の良さや身体能力の高さ、才能や適性など色々絡んでくるので、あくまで自分の能力の限度で出来るだけ効率的にお金を稼ぐという事で妥協するしかない。

どういう生き方を選ぶかは個人の自由であるが命を無駄にするな

もし自分のやりたい事が何もしないで家でゴロゴロして昼寝する事であるならばそれでも良い。

それはやりたい事であり、やりたくない事ではないからだ。

命を無駄にするとはやりたくない事をするという事だ。

本来人生においてやりたくない事をしている暇は1秒たりともない。

つまり人生とはいかにやりたくない事を行わず、やりたい事を行い楽しむかが問われているのだ。

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